本来の意味での聖地巡礼
会いに行ける即身仏 後編
ベレー帽です。南無大師遍照金剛。
1体目
最初は新潟は弥彦山の麓、長岡寺泊の西生寺へ
現存最古の即身仏である弘智法印上人に会いに行きます!
他はすべて江戸時代から明治ギリギリまでなのですが、この上人だけはぶっちぎりで古く1363年で660年前です。ここに即身仏があるのは室町の時代から有名で、人形浄瑠璃として舞台化してますし、松尾芭蕉から田中角栄まで見に来てます。死後即身仏になっているという越後の上杉謙信も勿論見ている筈です。あと俺。
もちろん全ての即身仏が撮影NGなので
いらすとやになってしまいます。
なおこのお寺の面白い所は宝物殿にあって、
雷獣のミイラはここにあります。ムー好きには二つ見れて超お得です。
受付の人に聞いたところ、
べれ「ハクビシン説もありますがどうなんでしょう?」
受付「テンかイタチかもとか聞いていますけど、水かきとか結構違うんですよね。即身仏じゃなくて雷獣目当ての人も沢山来るんですよ。その方達でも分からないそうですよ」
べれ「なるほど、分からないならきっと雷獣なのでしょう」
受付「ですよね〜。」
実際に見てから家にある頭骨図鑑とか、ネットで調べたりして見ると、これネコだな多分。
疥癬で毛のないタヌキとか、良く見る生き物でも状態が変われば猟師でも分からないもので、ミイラ化したネコは江戸時代の人も見慣れないので。
これがアメリカで工事中に見つかった猫のミイラの例なんだけど、信じるか信じないかはあなた次第です!
他にもアフリカの呪物やガイアウルフ(ダイアーウルフの表記ぶれかな?)の剥製など、ジャンル不明の宝物殿です。
奴(やっこ)の頭骨。 武家の下級奉公人の意味
即身仏に偽物だろといって槍を突き刺したあと、発狂して首を吊った奴の髑髏です。
う〜む情報量が多すぎる。
べれ「奴の頭骨ありましたけど、槍で刺したのであれば上人様の方に傷跡がある筈ですが?」
住職「肩のあたりに折れた後がありますよレントゲン写真が宝物殿にあります」
べれ「うーむ。レントゲン見ても分からん」
2体目
添乗員「2体……2躯、何て数えたら良いんですかね?ネットだと体で数えるみたいなんですけど」
べれ「仏と同じ1尊、2尊で良いんじゃないかな」
最古を見たので次は最新というか最後の即身仏である佛海上人のいる村上市の観音寺へ大移動。
明治36年(1903)なので、既に明治政府により自殺に等しい入定は禁止されていました。また即身仏は死後3年3か月後に掘り返す必要があるので、令和現在の法律でも協力者が自殺ほう助と死体損壊の罪に問われてしまいます。
ので昭和の学術調査まで50年間掘り返すことが出来ませんでした。
最大の特徴は、生前の写真が残っているという事です。
木棺や入定の石室、生前の遺品などちょっと生々しいな!
3尊目
また物凄く移動して山形の蔵高院の光明海。
こちらの特徴は生前については良く分からないし、観光客を呼ぶために掘り返したという町おこしで掘り返した即身仏という事です。
1854年入定して昭和53年(1978)に新潟大を中心としたミイラ研究チームにより124年後に世に出ました。そういう意味ではこちらの方が新しいともいえますね。
テレビ・マスコミ見学の元、入定墓の発掘調査が行われた稀有な例です。
私は本で読んでいたので、知っていましたが何も知らなかった添乗員さんは観光目的で暴いたことに驚いたと言っていました。
ヨーロッパ人がミイラ解剖ショーでお金を取っていたり、令和でも有吉の番組でエジプトやペルーのミイラを開けるバラエティがあったので人間はまるで成長していないです。
ちなみに庶民の旅行が禁じられている(お伊勢参りのみ許可)江戸時代には、即身仏の方から江戸に出開帳といって見世物の様に巡業していたようです。 宮城の萬蔵は大正時代の万博の後に行方不明に……。 昔は触ったり、削って持ち帰ったり、はては食べたりしていたらしいので、もっと人間が成長するまで埋めといたままの方が良かったのかなぁーとも。
さて光明海さんは写真の通り、ほぼ白骨化していてごく一部の皮膚のみミイラ化していたようです。なので殆ど修復補強で現在の姿になっています。
なのでこちらでは衣替えは一度もやってないし出来ないそうです。ちなみに住職も若かりし頃一緒に発掘調査に参加していたそうです。
4尊目
日をまたぎましてまた移動です。 鶴岡の大日坊です。ここは女人禁制だった湯殿山の女人寺だったとか。
真如海上人は驚異の96歳で、70年以上の木食業と、土中入定中に近所の婆がお墓の中でひもじいだろうと、空気穴の竹筒に饅頭を供えたところ息が詰まってなくなったという伝説が知られています。
ところで断食などの苦行は、仏陀が完全否定しているのに山岳信仰とか密教系は結構ハードな苦行やりがちなのなんでだろ〜?
個人的な感情だけど、戒名だけで何十万も取ったり、美人の奥さんが居たり、ベンツに乗ってる令和の住職よりは、苦行を実践しておられる真如海上人の方が信用できるな。
公式HPより うらめしやの手をしていて屈指の絵力があるので、多分みんなが知る即身仏のイメージはこの方です。
なんで急に写真を貼ったかというと現地で撮影禁止だったのにQRコードを読み込んだら
めっちゃテレビで撮影してんじゃん!と思ったからです。その点では伊勢神宮や善光寺は徹底してて好きよ。というか実際に行っても見せてもくれないけど。 いや、サービス精神と受け取ろう。撮影OKとすると無茶するyoutuberが現れるからな。うーん末法末法。
さてここ大日坊の直ぐ近くに注連寺があるのですが、ツアーに入っていませんでした。何人かで添乗員を問い詰めたところ。
添乗員「企画担当の部署ではないので本当のところは分からないが、距離的にも行程的にもいけないことはない。でも入っていないからには許可が出なかった場合と、バスが入れない可能性が考えられます」
バスでないと徒歩30分以上かな。自家用車なら回れそう。目の前まで来ているのに実にもったいない……。詳しく調べると2009年に注連掛集落が地滑りでと被害に遭ったという事で管理者が居ないのかも?HPも繋がらないしグーグルマップも数年前から臨時休業中とありますね。うーん、これどのみち行けないな。
なにしろ注連寺にはエピソードには事欠かない伝説中の人、鉄門海上人の即身仏があるからです。鉄門海上人〜愛朽つるとも〜 として劇画にもなっています。もちろん読みました。
5尊目
鶴岡は即身仏がまとまっているので次は本明寺の本明海上人。湯殿山系現存最古です。後で行く海向寺の円明海上人は親戚で甥だと分かってる即身仏です。妻子がいたけど晩年出家するケースだと子孫が居る即身仏もありえる。
本明寺では山伏の格好をした住職が、ほら貝を吹いたり日本刀で九字を切ったり、梵天加持など儀式をしてくれました。
アトラクションというかパフォーマンス的で実に良かった。
あとはここは普段平日はサラリーマンをしているらしいので、要予約なのです。ここじゃん難易度高かったところ!
火渡り跡と入定墓。 基本的に湯殿山は仏教寺で、弘法大師の真言宗なのですが、なので即身仏も空海の海の字を貰っているわけですが、明治の時に神仏分離令を喰らって更にややこしい形に着地。 殆どが藩主相手に祈祷などを行っていたため、檀家を持たず現在は収入源が無く財政ピンチな寺が多いです。
GHQからはまた自然と神仏習合して、葬儀関係は寺に行くし、祝い事は神社行くよなぁ。祈祷寺って詰んでるじゃん。 善光寺くらい参拝客来るなら大丈夫なんだが。お守りと御朱印は……どっちもかあるか。うーんクリスマスもハロウィンもやるし日本の宗教って曖昧だなぁ。
6尊目
同じく鶴岡の南岳寺の鉄竜海上人
他の寺は即、修行の場だったせいか山奥にあってアクセスが最悪だけど、ここは市内の住宅街にありましたし墓地を持っているので建物が新しかったです。
鉄竜海上人は名前から分かる通りレジェンド鉄門海上人の弟子です。
伝説によるとモテモテだった鉄門海上人は追いかけてきた遊女に、睾丸を切って渡しこれをやるから諦めてくれと言って返したという、ほっこりエピソードがあるのですが、その後は遊女の間でお守りとして取り合いになり、最終的には何故かここに所蔵されています。私はどちらかというと睾丸を見に来た!
鉄竜海上人は生前から140cmしかなかったそうです。そして左目が欠損しています。おばさんの話によると浅間山の噴火の結果、火山灰で眼病が流行ったので眼病平癒の為に祈願してくり抜いたからだとされています。
うーん、実はその話は3回目だ。 私が考えるにその話は鉄門海上人の伝説的エピソードなのです。ただ名前が似ていることと、即身仏が複数あるとは思わない人が話を混ぜてしまった可能性が高いですね。
ちなみに私自身は前述の槍の傷があるという弘智法印も、睾丸を切ったというエピソードも、現状の即身仏の状態を見て逆にエピソードが作られたと考えています。目はミイラとして普通に残りにくいですから。
ところがその一見合理的な解釈も即身仏という神秘の塊には通用しなくて、鉄門海上人だけは生前に瞳をくり抜いた形跡が確かにあるという調査結果が出ているらしいんですよ。うーんやっぱり、三人共に目をくり抜いたのかなぁ?分からなくなってしまった。不思議と右目だけはみんな残っているんだよなぁ。ミステリが残るのが憎いねぇ。
生前に目をくり抜くのは想像するだけでも痛いので、やはり現代の生臭坊主とはわけが違う……。
ちなみに睾丸は本人の物だと確定していましたが、こちらは死後に千切れたものでエピソードは後世に盛られたものだと判明していると、科博のミイラ展の図録に書いてありました。2019年に俺読んだけど頭に入ってなかったなぁ。今、そういや資料を持ってるなと読んでみたらやっぱりか!とびっくりしたところw
管理人のおばさんに睾丸はどうしたの?と恥ずかしげもなく聞いたところ、あるよとのこと。でも非公開にしているそうです。
それはそうと鉄竜海さんもエピソードは豊富で、もう明治に入っていたので仏海上人同様に入定は禁じられていて、病気の際に米を無理矢理食わされて即身仏になれないと無念の病死。ところが夢枕で掘り返してくれと何度も現れるので、信者が掘り出して内臓の処置と燻蒸をおこない即身仏化したとの経緯があります。その際に法律違反は分かっていたので没年を墳墓発掘禁止令の発布前の明治元年に偽装。時効が成立する大正時代までは秘仏として信者の間に隠匿されていたという凄まじいエピソードがあります。厳密に言うと即身仏の定義から外れますが、鉄竜海上人を即身仏と称することに異議を唱える人はまあ居ないでしょうね。
ちなみにこの寺の境内には明治の超能力者で有名な長南年恵の淡島大明神という末社があります。
通称を極楽娘と言って、まさにリングの千里眼事件のような超能力裁判になったという逸話で、オカルト界隈では有名……ではないなマイナーw
丹波哲郎が本に、エースをねらえの山本鈴美香先生や水木先生がまんがにしています。未読。
いわく一切食べ物を食べず、空気中から霊水を出すなどしたそうです。法廷内でも身体検査をしたにも関わらず黄色い水を出したという伝説あり。(尿ではないかという説も)、ツアー参加者の中にも信者が居てお水をお供え?交換?していました。
この人はwikipedhiaで読んだ程度でしたが、既に面白いんだよなぁ。
最後は酒田の海向寺へ
7・8尊目
そう、ここは珍しい二人即身仏の寺なのです。
ここは資料によると、昭和まで結構、行人寺としてフーテンの人達を無料で泊まらせたり、神懸かりの儀式の作祭りの風習が残る寺だったようです。なんでもトランス状態の人に今年の豊作を占ったり、漁獲高を訊ねたりするらしい。
まあ令和には無いなと思って居ましたら、そこの解説のおばちゃんが、
「何年もお世話をしていると、ときおり円明海上人が悩みを聞いてくれることがある」
「この間も若い学生が即身仏になってこの世にとどまるのは執着ではないのか?と訊ねられて、私は答えられなかったので直接、円明海上人に聞いてくれといったところ、その学生は答えが聞こえて納得したと言って帰りました」
「おばあちゃんがミイラ気持ち悪い気持ち悪いってずっと言っていたけど、円明海上人の前に来たら、わたし今日から生まれ変わってそういうところ直すわと言っていました。80歳でしたけどね。」
などなどまあまあスピリチュアルなエピソードを。他のお寺でかなりマナー講師っぽい説法(おりんは内側を二回叩くとか、数珠は108玉じゃないと駄目とか)をする住職も居て退屈だったので、こういう真偽は確かめようがないがネットに乗ってない話を聞けて満足。
「円明海上人と話したって人は沢山いるけど、忠海上人は一言もしゃべらないねえ」
この喋らない方の忠海上人が、本明海上人の甥ですね。
よーし、これで全17尊中の8尊+以前に1尊で9尊を見たぞ。
そしてこれが成果だ。
これを見てください。特に右の写真の黒い四角を。お守りは12年に一度の丑年の衣替えの際に、古い方の衣を1cm角に裁断してお守りに封印してあるのです。西生寺のは特に見易く、財布やスマホに挟みやすくなっています。500円か1000円です。寺によってまちまち。
一応確認したところ、普通のお守りタイプにもちゃんと布は入っていました。仏海上人は白い布でした。
真如海上人はブロマイドも売っていたので、勿論購入。ツアーの人によると30年前には上人のテレホンカードも売ってたし、金玉も普通に展示してあったよとのこと。
オレンジのは2枚入ってるのでお得です。光明海さんは衣替え出来ないので御衣のお守り無し。
7つの布が集まった! ドラゴンボールで言えば願い事の一つくらい余裕では?
円明海上人「まずはその浅ましい煩悩を捨てよう!」
円明海上人「17尊を巡ろうとか百名山とかの執着も捨てよう!それはむしろ呪い!」
円明海上人「酒と女犯と、五穀断ちをしよう!さすれば……」
べれ「いやそれもう、衆生を救うくらいしか叶わなくない?」
一応ですけど、サマージャンボ買ってみます。